歴史・文化
三嶋暦師の館
「令和2年9月1日リニューアルオープン」
三嶋暦師の館は、老朽化に伴う耐震補強と屋根改修工事を終え、リニューアルオープンしました。
三嶋暦の小さな博物館
三嶋暦師の館は、三嶋暦を代々発行していた河合家の家屋を改修した博物館です。
館内には、三嶋暦の版木や関連資料が展示されています。
レプリカの版木を使った印刷体験もできます。
河合家は、高度な天文学と数学の知識を必要とした暦の発行を50代にわたり行っていました。
建物は、安政の大地震(1854年)で河合家の建物が倒壊した後、韮山代官の江川太郎左衛門の肝いりで、十里木(静岡県裾野市)の関所の廃屋を使って建てられたものです。
奥座敷は一番高い上段の間となっていて格式の高さが偲ばれます。平成18年(2006)に国の登録有形文化財に指定されました。
三嶋暦=かな文字で書かれた暦で、日本で一番古い
三嶋暦は、かな文字で書かれた暦として、日本で一番古いものだと言われています。
文字の美しさ、線の繊細さで全国に知れ渡っていました。
中世~江戸初期までが最普及期で、東日本では三嶋暦が使われていたようです。織田信長や徳川家康も使っていたと思われます。
東海道を行き交う旅人のおみやげやお歳暮として喜ばれていたようです。
三嶋暦はムーンカレンダー(旧暦)
三嶋暦は、現在の太陽暦と違い、月の満ち欠けに基づき計算された太陰太陽暦(旧暦)です。
太陰暦は、新月~満月~新月の29.5日を1か月の単位としていました。
0.5は端数なので、1か月の日数を29日(小の月)、30日(大の月)としていました。
1年に12か月に6か月ずつ、小の月・大の月を入れても、1年=354日にしかなりません。
しかし、季節は365日で一巡するので、太陰暦では11日ほどずれてしまいます。
その結果、3年間では約1か月の差が生じてしまいます。
そこで、3年に1回、1年を13か月にして季節を合わせていました。
太陰太陽暦と呼ばれる理由
3年に1回、1年を13か月にして季節を合わせてただけでは季節がよくわからないので、二十四節気(冬至、春分、啓蟄など)を暦の中に入れて、農作業に必要な季節の目印を作りました。
月(太陰)の動きを中心に、太陽に対する地球の動き(季節の移動)を暦の中に加味していることから、「太陰太陽暦」と呼ばれています。
詳しくは、三嶋暦の会ホームページをご覧ください。